一番乗りの鮎を次のオトリへと繋いでいく。まるで螺旋のバネが弾けるように循環が展開して昼のひとときほぼ入れ掛かり。祓川のこともあって、魚の気まぐれにしごき抜かれた後の忍耐とか寛容とか、ちょっと修行めいた釣りを重ねて来たけれど、この日は心が開いてのびのび動き始める。オトリが蹴られたり弾かれたりしたので、ハリを7号に換えてみた。循環も上手くいって、そんな時には重いハリを結んでも根掛かりはない。ちょっと群れを崩してみようと蝶バリにしたり、もっと泳がせる楽しさを味わおうと背カンを使ったりと試してみる、鮎はどれにも掛かった。魚に対する観念を具体的な釣り方から抽象して引き出しにしまう。長年、釣りに勤しんできたので引き出しはいくつもある。ただそれがどこにあるか思い出せないだけである。三十匹はいったか?大きいのや小さいの、中には背ビレがアブラビレに届くのもいて、これはきっと湖産だと思われた。15cm以下は採捕禁止なので一匹一匹選んで瀬に返す。手で掴んで頭と尻尾が出るとそれが15cmだ。魚が元気よく瀬に消えると何か自然の一端に自身も繋がっているように感じられて、ああ長生き出来そうな気になる。さて、昼をはるかに過ぎた、早起きに朝駆けで腰が落ち顎が出かかる、そうだ温泉へ行こう。ダム湖の上流にはいい温泉がいくつかあって、老いの身魂をほどいてゆったりくつろがせてくれる、鮎タイツでできるアセモ快癒の特効薬でもあるしね。ということで余生の一日を、佳き釣りの日として過ごすことができたのであった。