真夏、流れが岩で深く混ぜ返され、瀬音が大きく騒いでいればそこが釣り場だ。ストーキングしながらそっと瀬に近づく。ややっ、やっぱり来た。小さいけれど夏ヤマメだ。次の瀬ではアマゴ、そしてまたヤマメと続いてフライを追って来た。この夏何度も来ていて散々な目にあっていたのに。だがそれもしばしで、アブラッパヤ、豆ヤマメ君の掛けバラシが続くかと思ったら陽が高く立ち始めた。明るく照らされた瀬からは魚はもうフライを追うことはなくなった。岩に腰を下ろして竿を仕舞いながら、「ああ今日もいい釣りをした」と思う。渓から上がって息を吐くとすっかり脱力してペッタリ岸辺に座り込んでしまうような、身魂を出しきったというそんな感じのものである。達成されたスッカラカン。これって即身成仏ギリギリっていうことか?もう魚の量ではなくなったことは確かである。酷暑にさらされても川はひっそり魚を宿して生きていたのだという喜びと、工夫が活きて夏ヤマメをヨタヨタフライでもなんとか掛けることが出来た喜びが重なって、佳き釣りの日々を送ることが出来たのだった。